いろいろな体験日記(あんなことやこんなこと…)

ネタになるようなことをたくさん書きます。ぜひご高覧ください♡

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カウンターカルチャーショックのお話

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毛異多です💛

花粉症で鼻をかみすぎて鼻が取れそうです。いやむしろ取れてほしい。この時期だけは取れてほしい。ただし再度くっつけられることが前提でのお話…。

 さて、父が転勤族であったため、私は小さいころアメリカに住んでいました。ABCもわからないまま日本人が1人もいないクラスにぶち込まれるという、ハードな経験をしました💛その時についてちょっと触れた記事がこちらです☟

日本とアメリカのバレンタインデーの違いについて - いろいろな体験日記(あんなことやこんなこと…)

アメリカでの生活

住んでいたのはカリフォルニアの海岸からちょっと山に入ったところ。だだっ広い家からは常に海が見え、空気もきれいで素敵な環境でした。おもしろいことに結構な頻度で雲海も見え、野生の孔雀やアライグマ、オポッサムなどが出没する自然豊かな地域でしたね。

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治安がいい地域と言えども、父は赴任直後、会社から銃を所持するようすすめられたそうです。希望すれば、ライフル銃でも拳銃でもなんでもタダで貸与してもらえたとのこと。さすがはアメリカ、銃社会ですね。ちなみに父はこのとき銃の所持を断ったので我が家にはありませんでした。

あ、ちなみに向こうではライセンスさえ持っていればふつーにそこらへんのスーパーで銃が買えました。洋服売り場☞CDショップ☞ガンショップ、みたいな感じで当たり前のように銃が売っていましたからね。今考えればかなりのカルチャーショックでした。銃乱射事件などが頻発してからは販売をやめたところが多いみたいですが。

 1人じゃどこも出かけられない…

話を戻します。こんな感じで、治安がいい場所といえどもそこはアメリカ。その地域では、どこに行くにも大人の付き添いが必須でした。私なんて学校まで徒歩10秒のところに住んでいたのに、それでも送り迎えが必要でしたからね。プロテクト力が半端ないです。シュミテクト並みです。そんな環境下での生活で、私の警戒心も自然と養われていきました。

 

 

カウンターカルチャーショック① 

そんな生活を5年間続けた私が日本に帰国したのは小4の秋。日本に住んでいた頃の記憶ゼロな私は、衝撃的な事実を知ることになります。

母「あんた、もうそろそろ学校が始まるね。」

毛「うん。ドキドキする。」

母「そりゃ無理ないね。あ、ちなみに学校は1人で行くんだよ。お母さんついて行かないからね」

 

え?

 

え?何言ってんの?一人で行くとか、え?さらわれない?藪からスティックに銃とかナイフを突き付けられて「お前ジャパニーズだな。今すぐ親に金を持って来させろ。」とか言われない?今までどこに行くにも付き添いが必要だったのに、それは寝耳にウォーターだよ…と考えていたのもつかの間、さらに驚いたことがありました。

カウンターカルチャーショック②

それは、親の付き添いなくみんな遊びに出かけているということ。

 

どゆこと?

 

学校が終わって家にランドセルぶん投げて即遊びに行くとかなにごと?おごと?えっしかもみんなコンビニとか入って買い物までしてんじゃん。向こうじゃ家から一番近いコンビニ(セブンイレブン)がマフィアの麻薬の取引所だったのに(※実話です)…と、親の同伴なしで遊びに行くことがまるで犯罪のように思えました。カウンターカルチャーショックに、ただただ茫然です。

 ちょっとした出来事

アメリカで培われた警戒心はしばらく抜けませんでした。ある日、友達と外で遊んでいたらたまたま通りかかった女性に声をかけられました。しかも何を言われるのかと思えば、ジュースをおごってあげるとのこと。友達が気を許すなか、私一人だけ警戒心maxです。

女「みんなこんにちは~!ジュースでも飲む~?」

友①「え!飲む飲む~!」

毛「(はっ誰!?)…。」

女「何がいい~?」

友①「俺コーラ!」

友②「僕も!」

友③「ポカリスエット!」

女「は~い!…あれ、きみ(毛)は~?」

毛「…僕大丈夫です」

女「遠慮なんてしなくt」

毛「いりません!帰ります!」

「欲しがりません、勝つまでは」みたいな勢いで断りました。後刻、その女性は友達のお母さんであることが分かりましたが、最後まで警戒心が解けることはありませんでしたね。病的なまでの警戒心です。

おわりに

それだけ日本は治安が良いということですね。自分にとっての当たり前は、誰かの当たり前じゃないと実感した出来事でした💛

またいろいろと書きます^^

 

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